世の中の色んなことを・・・・


 世の中の仕組みはおかしいのです。今から、たくさんの例をあげつつ、そのバランスのなさというか、全体がみえてないなってあたりを突付いていこうかと思います。

 この文章を書こうと思ったきっかけは、募金とかエコとか、その辺です。気づいてる人は気づいていると思いますが、まったく無駄なエコってありますよね。たとえば、割り箸。割り箸って木を加工する際に出たクズから作られてるらしい。だから、割り箸を無駄に消費しなかったからと言って、エコということはなく、木のクズが増えるだけなんですよね。この割り箸でエコを言うなら、すでに割り箸はエコなんですよ。クズを再利用しているから。他にもエコに関してはいろいろとあるんですが、とりあえず一つだけにします。まだまだ別の方面の話をしないといけないので。
 募金の話をしましょう。私が何百円かを寄付すると、恵まれない子供たちの命が何人も救えるそうです。すばらしいとこだと思います。でも、色々な方向から考えてみましょう。例えば、世界の人口は年々増え続けています。食糧難に陥るというのがそう遠くない未来に起こるそうです。例えば、日本にもその何百円かがなくて困っている人がいます。例えば、何百円を寄付するということで、救える命があるとして、ではなぜ寄付する人は何千円を寄付しないのか。後百円、それでまた何人かの命を救うことができるのに。
 年金の話をしましょう。私たち、若い世代が年金をもらえるころになると、年金制度が破綻しているかもしれないということです。ちゃんとわかっている人はわかっていると思いますが、年金の財源が危ういので税金が投入されます。つまり、年金を受け取らないと、税金の払い損になります。でも、ちょっと待ってください。国家予算はすでに国債を発行している状態、つまり、借り入れを起こして回しているわけです。ずっと赤字で経営しているわけです。なのに、税金を投入するの?現在の年金受給者と私たちの世代がもらえる年金の額は受給する年代の金銭価値で、ずっと私たちの世代の方が低い。
 医療の問題を考えましょう。現在の医療費の大半は高齢者が占めています。全然足りていません。若い世代が病院に行っても高齢者ばかりで、数時間待たされるというのはもはや常識です。一人の人間が生涯に渡って、健康保険として払ってきた掛け金を消費しているだけなので、本来ならば当然の権利でしょう。でも、ちょっと待ってください。現実に病院の回転率は悪く、個人の問題では収まりきらず、他者の権利を圧迫しています。
 年金と医療など税金の投入の話をしましょう。年金が足りない。じゃあ、年金に税金を投入しましょうとなると、いやいや医療もお金が足りない。税金を投入しよう。今度は税金が足りないから、増税しよう。増税すると国民にお金が足りない。じゃあ、今度はお金を国民に投入しよう・・・・えっ?ぐるぐる回しているだけで、無駄な労力とお金が消えているだけじゃないんですか?
 税金の話をしましょう。お金をたくさんもらう人は大きな負担、お金をあまりもらえない人は小さな負担。累進課税というやつです。それは確かに正当なように思えます。でも、ちょっと待ってください。公務員や国からお金をもらって仕事をしていない限り、そのお金は市場から得た利益です。たくさんもらうということは、基本的にそれだけの仕事をしたという対価であるはずです。市場は労力を提供して汗を流すだけの所ではありません。労力の対価に金銭を稼ぐところです。頑張ったのに、頑張っていない人と同じお金しか手元に残らない。
 仕事とお金の話をしましょう。仕事ってなんでしょうか。農業をして、食物を得ているだけで生きていけると思いますか?何かサービスを受けたいと思うことは誰にでもあります。テレビが見たい。じゃあ、テレビ番組を作る人が必要です。テレビ自体を作る人も必要です。どこかへ出かけたい。歩いていくのでなければ、車が必要です。お金は回っています。サービスを受ける人から、サービスを提供する人へ、そして、それが税金となって配分されたり、利益としてまた個人の元へといき、サービスを受ける別の人へ流れます。仕事とお金は互いを支えあって、人々の生活を豊かにしています。
 高額な嗜好品の話をしましょう。希少な価値を持つものは、人がそこに何らかの価値をつけたもので、例えば、絵画。物質的にはただの画材等でしかないのに、そこには画材以上の価値がある。たくさんのお金を持っている人は、嗜好品を買うことができます。人は物質に物質以上の価値を見出すものですのから、その存在は必然のものですし、それにより人生が豊かになることもあるでしょう。では、お金がない人はお金を持っている人よりも人生を豊かに暮らすことができないのでしょうか。でも、人にはそれぞれの価値観があります。その物質に何の価値を見出すかは人それぞれです。だから、決して、そうであるとは言えません。でも、ちょっと待ってください。お金がなくても豊かに暮らせるなら、お金を税金として徴収し、配分する必要ってあるんですか?
 生まれついて何らかの病気を抱えている人の話をしましょう。彼、彼女たちは不幸でしょうか。それとも、幸せでしょうか。普通の人と比べて・・・・比べる必要ありますか?それとも、普通ではないから、普通と比べる必要がないのであって、普通であるから、普通でないものと比べるのでしょうか。人はそれぞれの価値観を持っています。大変だったことを苦労したと感じる人と感じない人がいます。
 では、結局のところ、人はそれぞれ気の持ちようで、人生を豊かに暮らせるかそうでないかを決めることができる・・・・最低限、それだけは保障されているとして、お金があるなら、人生を豊かに暮らすことができるという確率を上げることができるということでしょうか。すべての人々に、平等な権利と機会。これが目的であり、それは正しいことなのでしょうか。
 年金と医療の話に戻ってみましょう。高齢者が診察を受ける権利、若い世代が診察を受ける権利。どちらも正しい。しかし、同時にはすべて満たされない。なぜか。供給に限度があるからです。すべての人に権利がありながら、数に限りがある。

 そろそろわかってきてもらえたかと思います。つまり、何が言いたいかというと、もっと全体を見ないといけないんですよ。募金をする前に、その募金にどれだけの意味があるのか考えないといけない。エコ活動をする前に、その活動にどれだけの意味があるのかを考えないといけない。考えられないなら、するべきではないと私は思います。極端な話、エコ活動をするくらいなら、自分の家を掃除した方がマシだし、募金をするぐらいなら、預金をした方がマシで、消費した方がもっといい。
 さらに極端な話をすると、ボランティアをするくらいなら、お金をもらう仕事をした方がマシで、自分で何かを考えて活動をする方がもっといい。
 この感覚が非常に大事だと思うんですよ。極端な話をもっとしましょう。環境破壊が進むのを止めたいなら、人口を減らすような政策をとればいい。車は減るし、消費量も減る。なぜそうしないのかといえば、人道的な問題もありますが、それよりも広い土地に人がまばらに広がりすぎているからです。広い土地を管理しようと思えば大変なのは必然です。道の整備は大変だし、交通の便も整理しなければならない。集まっていれば簡単に済む問題も複雑化する。砂漠で人が生活しようとすれば、大変です。だから発展しにくいのは事実でしょう。環境が人の生活だけでなく、国家の運営に影響を及ぼしている。日本もそれは同じだということです。環境破壊を止めるために、何が重要なのか、それは目の前にあることだけではないという認識が大切なのです。
 
 長々と書きましたが、わかりますでしょうか。次回は・・・・似たような例をあげて似たような話をしましょう。


最後に・・・・漫画とかアニメが好きなお前が言うなよっていう突っ込みはなしでww