冤罪、世の中のこと


 先日、水曜日だったかちかんの冤罪のドキュメンタリーをテレビで放送してました。なんかね、もうつらすぎて見てられなかったですよ。
 犯人とされる被告人が無罪を主張しているわけなんですが、目撃者や被害者の証言、状況等から有罪の判決が下りてしまう。確かに、本当にやっていたかもしれない。それを知っているのは、もはや被告人だけ。でも、無罪だったとしたら・・・・・
 だいたいの流れというか、冤罪の悲惨さというのは、おおよそ見当がつきます。理解しているかどうかではなくて、どういうことが起こるのかは考えれば、たいていの人にはわかります。ということもあって、今回注目したいのは、被害者がインタビューに答えていた場面です。
 被害者はインタビュー内で、その人の家族の状況や無罪を主張していることを知っていて、「私がこんなことをしていると思うと嫌です」と答えていました。この部分だけを切り取って流されていたので、会話の流れがわかりませんが、う〜んと考えさせられた。
 率直言うと、ちゃんと一度話してみればと思いました。確かに、被害者なわけで、犯人と会うのは怖いことかもしれないですけど・・・・というか、この被害者自身もこの結果に、納得がいっていないと思う。そんなに大事になるとは思ってもなかったでしょうし。罰というのは、犯罪をしたことをに対するものなので、被害者がどうとかそれとはまた別の話なわけですけど、ちょっと置いてけぼりにしすぎじゃないかなと思うんです。被害届けを取り下げれば、なかったことになるんじゃなかったかなと記憶していますので、まったく置いてけぼりというわけではないんでしょうが。でも、それではなかったことになってしまうので、被害者側の視点からすると、悔しいものです。
 被害者は、被害届けを出した後は、もう勝手に警察やら検察がガンガン押していってしまうことに疑問をもってはいないのかなと。人を殺した、殺人罪でガンガン押していく。でも、被害者やその家族が知りたいことはそれでわかるんですかね。本当にあの人が犯罪をしたのかどうか、どういう人だったのか、そこってマスコミじゃないですけど、意外と重要ですよ。被害者がこれからの人生を生きていくためには。
 なんかね、同じことの繰り返しをしているようで愚かな感じがします。裁判でこの犯罪にはこの罰です、で終わり。何を積み重ねているのかさっぱりわからない。被告はこういう主張で、こういう人物だから、被害者はこういう主張で、こういう人物だから・・・・・こういう間違いが起こる可能性もあるし、この主張は本当なのかどうか。そういう証拠以外の面もちゃんと積み重なっているんですかね。証拠を認定するかどうかとか、一回一回がまったく別のもののような気がしてしょうがない。確かに、先入観でものを見るのは駄目でしょうけど、間違いをチェックする場合は、逆に非常に有効ですよ。

 私は、日本の裁判ってあいまいだなと思うんですよ。証拠が完璧ならそれは確かにその通りの事実なのでしょう。でも、完璧になることってほとんどないですよ、神様じゃあるまいし。現行犯ですら、実際に犯行現場を見ない限り、完璧とは言えない。証拠によって、有罪とするなら、ありとあらゆる可能性が消えないといけない。それが消えないのに、何で有罪にできるんだろうと不思議で仕方がない。
 もうひとつ、日本の裁判をあいまいにしているのは、自白だと思うんです。自白が重視されすぎてる。本人がやったというんだから、やっているに違いないみたいな。多少のつじつまが合わなくても、被告人が犯罪を行うことができる可能性があれば、有罪ですみたいな・・・・
 いやいやいや、そんなにとある可能性をいいように捉えてもいいんですかと。疑わしきは被告人の利益にっていう精神でしょうと。無罪を主張しているんだから、無罪の可能性もいいように捉えてもいいでしょうに。自白がなかったら、証拠だ。証拠がなかったら自白だ。っていう馬鹿みたいな考え方があいまいにしてるんですよ。まずは、そこをしっかりと一本化して、どうあっても確かめられない、わからない可能性について、限界をちゃんとわきまえておくべきなんですよ。人はすべてを知る神ではないんですから。
 人が人を裁いている以上、人が人の操作をする以上、間違いはあるわけで、本当にしなければならないのは、間違いを起こさないことではなくて、間違いが起こったときどう対処するのか、どうやって間違いを改善していくかなんですよ。
 裁判員制度が始まって、裁判がこれまでのように絶対正しいみたいな雰囲気のままだと、社会はおかしくなりますよ。私はこう思う、だけどそれが絶対ではないし、間違えているなら、それは間違っていたと認め、改めて行こう、こういう視点がなければ、日本は終わりますよ。そして、今のままの制度では、私の意見はこうだ、そう決まったから絶対に正しいはずだっていう考え方をする人が増えて、柔軟な発想もできなくなる。間違いを認められなくなったら、人間駄目になりますよ。成長できないですよ。日本の国を動かしている官僚やら政治家が、そういう考え方だから、国も駄目になるし、成長もできないんですよ。私はそう思います。