世の中の色々なことを・・・その2

 前回と同じような話をしていこうと思います。

 なぜボランティアが流行るのか。それは当然、お金がかからないからです。ボランティアに頼る理由には、正確には二つの理由があると思います。ひとつは、お金がないから。もうひとつは、人がいないから。この二つです。
 前者はそのままで、お金がないからこそ、無賃金で働いてくれるボランティアを募集する。後者は、お金があっても、お金だけでは動かせない人を集めるなどの場合です。後者の具体例をあげると、学校等のPTA活動です。この後者には本当はもうひとつ特殊な場合があって、お金自体を集める場合です。お金を集める人をお金で雇うというのは、おかしいからです。
 私がなぜボランティアはする必要がないと思っているのかというと、ボランティアではお金が動かないからです。今一番、ボランティアに頼っている業界といえば、おそらく老人福祉でしょう。無賃金の人が介護をする、あるいはイベントの手伝いをする。世間では高い評価を得られる行動でしょう。しかし、よく考えてください。時間を対価に換えることなく、働くということは本来ありえないわけです。ボランティアをすることによって、お金を払わずに済んだ存在が必ずいるわけです。
 それは、もちろん行政です。行政が老人福祉の充実を謳う限り、これは行政の役割であるはずです。だから、老人福祉のボランティアをすることによって、行政がお金をかけずに済んでいるということです。これは、他の分野でもたいていの場合、同じで、田舎では消防は本職の消防団員に加えて、消防団という地域の住民によって構成されている団体でまかなわれています。これも行政がお金を持っていないから、そうやってボランティア同然でお願いしているわけです。
 つまり、行政がお金を持っていないから、ボランティアに頼ることになる。ある程度のことは仕方がないでしょう。広い土地に住民が広がっている場合、単純に本職の消防団員だけではどうあってもまかなえないのも事実です。しかし、極端にボランティアがすすむのはよくないのです。
 なぜか。ボランティアに時間を取られると、お金が動かずに、直接行政にお金が残る、つまり、一度も市場にお金が回らないからです。行政にお金が残ったまま配分されるということは、言わば社会主義的なんです。住民にお金を使う選択権がない。行政が決めた分野にしかお金が動きづらくなる。で、実際どこに使うかといえば、道路とか箱物とか、そんなところが大半です。ちょっと待てと。ボランティアのお金がなぜ道路に・・・・おかしいと思いませんか?ここが第一の理由です。ボランティアによって、浮いたお金は老人福祉に必ずあてなければおかしいんです。
 第二の理由が、市場にお金が回らないと、市場が活性化しないことです。極端な話をしましょう。ある地域で、極端にとある食料物資が足りなくなったとします。行政がそれは大変だと、それを調達してきて、市場価格で売るとする。それは非常にすばらしいことで、消費者にとってはありがたいことです。しかし、それは大きなお世話なんです。その地域で食料品を扱っている業者はそれをきっかけに新しいルートを確保できるかもしれないし、高額で売ることにより利益を上げることができるかもしれません。他にも、その物資がなくても生活できるということがわかるかもしれないし、何か別のもので代用できるかもしれないし、新しい発明が起こるかもしれない。そういうすべての可能性を消してしまうのです。当然、ただマイナスになっただけかもしれません。しかし、人類はそうやって成長してきたはずです。
 行政が市場に口をはさむ、結果的に市場にお金が回らないようにする。それは長期的にみて、大変なマイナスです。確かに、市場を調整することは必要です。しかし、関わりすぎるということはよくないのです。高速道路1000円で非常に私たちは助かりました。しかし、新幹線や船の業界は打撃を追っていますし、渋滞による問題も起こっている。これが現実です。行政が方向転換をあれやこれやとすると、市場は大変混乱するのです。
 ボランティアもこれに通じる部分があって、ボランティアの人が増えると、介護の仕事をする人、介護に携わる会社が利益を奪われる。本来なら、介護も一つの仕事であると認めなければならないのです。
 極端な話、極端なビジネスモデルをあげてみましょう。それは、介護は保険のようであってもいいはずなんです。現役時代に将来の介護費用等を積立ていき、老後になると一生面倒をみてもらえるというような。保険と同じで、早死にした人は、損をするかもしれません。しかし、長生きすれば得をする。どこかで聞いたことがありますね。そうです、年金です。年金はすでに、民間レベルで実現できていますし、保険会社のような法人であれば、このビジネスモデルを成り立たせることができるはずです。
 現状で介護のサービスを受けるためには、介護認定を受けて、その程度と受けたサービスに対して決められたがくの1割負担がかかります。残りは、国が負担しています。莫大な税金が投入されています。このシステム自体は非常によくできたものです。さきほどあげたビジネスモデルと同じです。ただ、問題は、どんなサービスの提供をしても同じ額しか請求できないという点です。優れたサービスを提供している介護施設、業者とそうでない業者が同じ額のお金を得ているわけです。これでは、発展していくはずがありません。民間が運営することで、消費者が選択することによって、提供する側は工夫を凝らして発展していくのです。
 以前よりは、利用する消費者に施設を選ぶという権利は保障されてきていますが、まだまだでしょう。根本的なところが変わらない限り、大きくは変わらないのです。
 しかし、今の制度が勝っている部分があります。それは、生活困窮者の場合です。資本主義だと、お金がない人が満足な生活を送ることが難しくなるのです。このバランスを調整することが課題ですが、絶対にあってはならないというビジネスモデルではないでしょう。現状で、お金を持っている人が高額の老人ホームに入っているということがあるわけですから。
 話が飛びました。すいません。話を戻します。といっても、ほとんど話したいことはすべて終わっていますが。まとめをしましょう。私は募金活動をしている人を見ていつも思うことがあります。募金活動をするなら、その時間働いて、そのお金をすべて募金にあてたらどうかと。その方が絶対に効率がいいです。ボランティアをするなら、その時間働いて、行政に寄付でもしたらどうですか。行政はそのちゃんと介護にそのお金を使って、介護労働者を一人でも多く雇うことができます。ちゃんとお金が回っていますよね?どうしてもボランティアをしたいなら、これが一番あるべき姿ではないのでしょうか。