救命病棟24時の世間とは違った楽しみ方

 このシリーズは私もおもしろくて、ずっと見てきています。なぜ惹かれるのか、これまでわからなかったんですが、先日ふと気づきました。それに関して、私の言いたいことを書きたいと思います。
 なぜ私が救命病棟24時をこれほど好きになったのかに気づかされる原因となったのが、とある若者が自分の夢を語っていた記事です。普段なら絶対に読まないんですよ。なぜなら、たいていの場合、自分を犠牲にせずに夢を語るからです。察しの良い方あるいは、同じように思っている方にはもう私が何を言いたいのかわかってもらえたかもしれません。
 つまり、私は若者が夢を語りつつも、一方で遊びまわっていることに対して怒りを感じているわけです。「私は医者になりたい。でも、遊びもたくさんしたい」・・・・意味がわからないと、そう感じてしまうんです。私も人に言えるほど、ずっと頑張って仕事をやっているわけではないですが、大きな夢を語るためにはそれだけの努力が必要であり、その算段を含めた上で、自分の人生を見つめてはいるつもりですし、少なくともあれもしたい、これもしたいとは思っていません。当然、時間は有限であり、あれをすれば、これができなくなるということはよくあることですし、お金にも限りがあり、できることに限りがあります。そして、あれを選べば、これを選べなくなるという人生の選択肢を皆がすでにいくつも超えてきています。
 その選択肢を超えてきたはずの人間が未だ、そのことをわかっていないのです。何も私は自分の限界を知れとは思っていません。努力をすれば、それだけ人の可能性は広がるわけですから。ただ、努力するにも時間をかける必要があるのだとなぜわからないのかと思うです。
 私は、それらの人を見て悲しくすらあります。業の深い生き物だなぁと・・・・そして、うまくいった人に対しては、今回は運が良かっただけだから、それをちゃんとわきまえて、今を持続させられるように気を引き締めてほしいと思うし、うまくいかなかった人に対してはそれが当然だから、もっと頑張るか分をわきまえるかどっちかにしたらいいのにと思うのです。
 そもそもなぜ、そう思うのかといえば、誰もが幸せであってほしいと思うわけで、高く望みを持ちすぎることは大きな沈みを生むわけで、裏づけのない高い望みを持つことは何より無謀であるからです。

 話をここで、救命病棟に戻すと、このドラマはこの私の心理を本当に巧みについてくるのです。主人公である江口洋介こと進藤先生は、第1シリーズで妻を亡くし、第2シリーズ以降で医者としての人生に自分をささげて生きます。まず、単純にこの献身的な姿に胸を打たれるのです。そして、この進藤に対して松嶋奈々子演じる小島先生が、進藤とは対極の存在として出てくる。つまり、あれもしたいしこれもしたいという若者の存在に近い形で絡んでくるのです。第1シリーズでは研修医として、第3シリーズでは救命医として活躍しつつも、結婚もしたいという位置づけです。小島先生は進藤の姿にあこがれつつも、自分の道を見つけようとあがき、一生懸命に頑張っている。そして、結局は進藤と同じような道へと運命に逆らえずに歩くことになる。その姿にもまた胸を打たれます。
 私が憧れる二つの人生を見事に調和させたドラマがこの救命病棟24時です。巷で言われているような評価ではなく、この二人の位置づけ、そして、この二人から通して見える私たちがどう人生に向き合って生きていくのかという点を教えてくれるこのドラマシリーズは本当におもしろいです。
 第4シリーズでは、一度救命医を止めた松嶋奈々子のポジションが非常に重要なものを担っていくこととなると私は思います。それはつまり、未だくすぶっている、これまであれもしたいこれもしたいと思ってこなかった比較的若い人たち、あるいはあれもしたいこれもしたいと思い、失敗した人たちにとって、とてもためになるドラマになるのではないかと思います。人生に疲れた人、ぜひそういった視点で見てみてください。