叙述トリックについて思うこと(注意:ネタバレあり)

 叙述トリックというのが、ミステリにはあります。小説の登場人物、犯人が何らかのトリックを用いて、事件を難解にして、それを登場人物が解くというのが、一般的なミステリとしてありますが、叙述トリックは、作品を書いた著者が犯人を意図的にわからないように、文章の中に工夫を凝らして、謎を作るというものです。男のような描写で書いておいて、実は女だったという単純なものから、時間軸が異なっているのに、同じ時間に起こっているように書くものなど様々です。共通するのは、叙述トリックを用いる多くの場合、視点が複数あるということ。視点を複数にすることによって、探偵、助手の勘違いという要素を無くし(探偵が単純に勘違いしているとどうあっても答えにたどり着けなくなるのでミステリとしては欠陥ありとなる)、意図的に読者自身に勘違いさせるのです。
 犯人を探偵や警察を自身の分身として、推理するという趣旨とは違うものですから、ミステリとは別のカテゴリにあるともいえます。そういうものが存在して、広く使われているということを頭において置いてください。
 さて、そういう事実があるわけですが、私はどうも納得いかないものがあるのです。私は、叙述トリックには二つの種類があると思います。犯人の視点があるものと、犯人かどうかわからない複数の人間の視点があるものです。違いを叙述トリックの作品を読んだことがない人に説明するのは難しいですが、前者はどういった心理で罪を犯しているのか(例えば、どのくらい恨んでいるのかとか、人を殺すことについてどう感じているのかなど)を書き、何となく誰かというのをほのめかしておき、本筋と犯人の視点がラストで重なり、ほのめかしていた犯人とは違う真犯人が明らかになるというパターンが多いです。後者は、そうですね、色々な視点から主観ばかりで話を作ることによって、客観的な評価や事実をわからなくさせる感じですね。
 で、私が納得いかないのが、前者。犯人の心理を書くだけならいいんです。その後に、どんでん返しがあると、自分がこれまでとある人物の心理だと思って読んできたことが一切関係なかったということになる。これまで読んできたのは何だったんだって話ですよ。極端な例で言うとですね、この日記で長々と感想なり、文章を書いてあるとして、それを読んでくれた人が最後まで読むと全部嘘です、全部間違いですって書いてあるんですよ。はぁ?って感じになりますよね?なりますってww
 だから、最後にこれまで読者が想定してきたことをまるきりひっくり返す展開というのを許せないんです。そういうことは、叙述トリックに限りませんけど。だったら、そのまますんなりと終われよと。
 別に叙述トリックすべてを否定しているわけではないんです。私が叙述トリックに一番最初に触れたのは、十角館の殺人だったと思いますが、そのときは感心しましたし、匣の中の失楽は本当にすごいと思うんです。科学捜査が精密になっていく現実の世界に合わせると、叙述トリックはこれからのミステリには必ず必要な技術となっていくでしょう。だからこそ、ラストだけでひっくり返すような安易な作りにして欲しくない。
 読み終えて、何度も読み返したくなるわけでもないのに、なぜか手元に残したくなるようなミステリ、それがこれからのミステリの姿じゃないかなと思います。もちろん、エンターテイメントというわけでもありません。若い世代では、もうそういう変化が始まってきてます。