第2話「トンネルを抜けると白かった」

 マガジン最新号(先週発売)で本編の百回記念を差し置いてのカラー特集が組まれていました。そこには、アニメの方針等が色々と書かれていました。新房監督は本当にどうされるのか読めない人ですから(いい意味で)、何となく方向性がわかってよかったのかなぁと思います。
 どういう内容だったかは別にいいません。知りたい人はマガジンを読めばいいと思います。マガジンを買っていない=さよなら絶望先生を愛していないってことですからねぇww時事ネタは鮮度が肝心だし、原作とアニメ化のギャップを心配する人は必ずマガジンを買っている人だとそういうわけですww
 ただ、一つだけ感心したというか、恐れ入ったのは、敢えて今の時事ネタでなく、原作重視の時事ネタで勝負するとされていること。その理由は、何年か先になって本アニメを見直したとき、それはどの時点にかえった作品になるのかと言えば、アニメを視聴していたときではなくて、アニメ内の時事ネタの年次になると目されてとのこと。
 私なんかは、そうはあまり考えていなかったわけですが、いわれて見ると、確かにその通りなんですよね。言い訳っぽく聞こえなくもないですが、その分演出等に気合が入っていく辺り、そんな批判は完全に払拭され、納得してしまいます。
 そういうわけで、私は納得してさよなら絶望先生を毎回見ていけそうですww

 ・ 内容
 まだまだ登場人物紹介の段階です。小森霧常月まとい木津千里ぐらいですか。言うまでもないことですが、名前がそのキャラの特徴を現しています。新井千恵先生(あらいちえ)はちょっとわかりにくいですが、ニイチエでニーチェです。少しずつこれもやっていきましょう。
 
 ・ 全体の雰囲気。
 すごくいいですね。特に、何ていう用語なのか知りませんが、黒い背景の使い方、これがすごくうまいです。原作でもよくあるんですが、メリハリが利いて見やすいです。
 まぁ、この辺は好き嫌いが別れるのかもしれません。手抜きだとか・・・それも時と場合によると思います。本作品ではこうあるべきだと思うし、ひだまりスケッチでは、ああいった手法が嵌っていたと思います。1つの技術と言って良いんでしょうね。「新房昭之=○○だ」という考えを持って、見る側は見ているだろうし、制作側もそうだとわかっていて、監督にあげるのでしょう。ある程度お互いに認識の土台がお互いにあるというか、本作品は是非新房昭之のあの技術で再現すれば、すばらしいものになるはずという意識というか。
 完全に妄想ですけどねwwそういうやりとりであって欲しいということです。色んな要素がありますけどね。

 こんな感じで、感想終わり。