奇跡みたいなゴミのような一日――その後


 徹夜をして、自分に言い聞かせた。あるいは、心の準備であったのかもしれない。遅くまでずっと鳴き続けていた子猫も、疲れて眠ってしまった。それでも音を立てると、起き出してミャーミャーと鳴く。
 日が昇り、あまり遅くならないうちにダンボールを抱えて家を出た。ハヤテのごとくの放送が始まる前に帰ってこようなどという算段すらあった。自分という人間はつくづくダメな奴だと思う。近くの派出所に行くと、1人の警官がいた。ダンボールを片手に、昨日からのことを坦々と説明し、落し物の手続きに沿った応対がいくつかなされた。
 その警官は思っていたよりも人情に溢れていた。彼が言うには、こちらで預かるということは、しばらくは預かるが最終的には保健所に持って行き、処分することになるが、それでいいのか?あなたがもしそういうつもりでここに持ってきておられないのなら、考え直したらどうか?ということである。しかし、そう言われても、飼えないものは飼えない。やはり、決断を迫られているのだ。それでいいと言うだけのこと、当然そういうつもりでここに持ってきていたつもりでも、いざはっきりと言葉にすることに躊躇う。
 そうこうしているうちに、警官はこちらが預かれば必ず殺してしまうことになるので、このダンボールに入れて、またどこかにおいて来たらどうかと提案してきた。確かにその方がこのネコが生きる可能性は残される。自分と同じように、拾った人がいて、その人は自分とは違い飼い手を探すかもしれない。答えにまたしても窮した。けれど、何となくそれは違うのだと思った。いや、正しいのかもしれないが、自分がそれを受け入れることはできないと思ったのだ。その理由をあの時はわからなかったが、今になると良くわかる。それは自分があのネコを捨てた人間と同じ人間になりたくないと思っていただけのことだった。憤りだったのだ。その憤りに意味があるのかどうかはわからないが。
 そんなことには気付かないまま、意を決して、預かっていただいて、飼い主が見つからなければ、保健所の方に連れて行っていただいて構いませんと口にした。警官はわかりましたと、冷静に答えていたが、自分と同じような苦悶があったことだろう。鳴きつかれたのか、子猫はその頃にはもう酷く鳴くことはなかった。努めて、ダンボールの中を覗きこむことはしなかった。
 派出所を出るときに、もう一度ご足労をおかけしますと言って、丁寧にお辞儀をした。警官もありがとうございましたと言って、頭を下げた。帰り道、それでも誰かがあの子猫を見て殺したくないと思って、どうにかしてくれたらという妄想に囚われた。無様なまでに、自分に都合のいいことを考えようとしていた。しかし、これで全てが終わった。何が良くて何が正しくて、そんなことはもうどうにもならない。家に帰って眠ってしまえば、長い一日を終えてしまえば、すべては奇跡みたいなゴミのような一日だった、と言って終わりにできるはず・・・・・・