日雇い派遣労働禁止

 この方向で見直しが進むようです。秋葉原の事件や格差の問題が引き金となっているらしい・・・・う〜ん、正直意味があるのかないのかww
 私は大学の頃に日雇い派遣をやったことがあります。登録制ですね。で、たまに行っていたんですが、それよりも気になったのは、何度も催促の電話があったこと。要するに、人が足りないから来てくれって電話です。これが何を意味しているのか。
 要するに、ほぼ毎日需要があるんですよ。工場なら確実に。なのに、日雇い派遣を使っているんです。普通に考えるとおかしくないですか?毎日労働力が必要なら、工場が直接アルバイトを雇えばいいはずなのです。しかし、実態はそうではありません。人が集まらないのです。なぜか、誰もやりたくないからです。工場のアルバイトをやるくらいなら、ウエイトレスや居酒屋系をやった方がいいでしょう。
 つまり、何が言いたいかというと、人が集まらない仕事で人を集めるために、派遣会社があるというのが、そもそもの流れなんです。人が集まらない仕事というのは、単純、きつい、おもしろくない、汚い、などです。
 問題は、日雇い労働をなくしたところで、政府が想定している人たちの現状は一切何も変わらないということです。日雇いでなく中期の派遣になるだけです。そもそも、そういった日雇い労働をしている方も、ほぼ毎日働いているんですから。
 本当に何も変わらないのか?いや、確かに変わります。先では挙げませんでしたが、工場にしろ、会社にしろ、必要な人数というのは、そのときそのとき(季節から曜日などさまざま)で違ってきて、その必要な分だけを調達するのが、一番効率がいいのです。余分な人材を正社員として確保しておくと無駄になるわけです。だから、例え、時給が1000円を超えようとも、必要なときに必要な数だけをそろえた方がいい。そうやってこれまではきたのですが、これを方向転換せざるを得なくなるかもしれない。
 極論で言えば、安定した安い賃金で同じ場所に拘束されるか、不安定な高い賃金で違う場所に行くかというのが、短期的なビジョンでしょうか。一見、後者の方がいいように見えます。企業側としても、こちらの方がいい。現に、こちらの方がいいのでしょう。でも、やっぱり根本的なシステムに欠陥があるんですねww
 人が集まらない仕事に、社会的弱者を半強制的に、定額の賃金で従事させる。これが問題なんですよ。
 いまや、仕事に技術なんていらないものが増えてます。誰にでも出来る仕事だから、単価を安くしたい。でも、人が集まらない。正社員として雇えば、恐らく人は集まる。でも、正社員は賃金を上げていかなければならないし、手当ても必要となるかもしれないし、多くても困る。どうしようか。というところに、使い捨てのほんのちょっとだけ割高人材がやってくる。これだ!となってしまったこと。ここが問題だと私は思うわけです。短期的には割高な賃金がもらえるが、中期的に見たらそれほどでもない。ここに罠があるんです。
 ややこしくなってきたので、ここらで問題を明確にして終わりたいと思います。私は、賃金が増えないことにこそ問題があると思う。仕事の内容で賃金が決まってしまうのなら、国民のほとんどが低賃金ですよwwほとんどケースこそ違えど、パターンの同じことの繰り返しをしています。それでも、賃金は増えていってるのが普通なんですよ。なぜ、増えないのか。やることに伸び白がないんです。同じことをやっているといっても、多少なりとも伸び白があるのが仕事。でも、派遣の労働は違う。伸び白がないものばかり。ここを改善しないかぎり、派遣は永遠に下流ですよ。
 積極的に行動することが価値のあることだとされているのが世の中です。でも、それって、実はそんなに難しいことじゃないんですよ。完璧であることが必要とされてはいないからです。積極的にかつ完璧に、そんなことを若い人は考えているんじゃないでしょうか。でも、私の実感では、そんなことはないです。確認して失敗したらやり直す、それで失敗が減ればいい。最初から、単調で失敗の少ない仕事を選んでいるから、派遣のような仕事しかなくなる。こういった独特の思考も問題です。
 でも、これだけではやはり改善しないと思う。私が思うのは、単調な仕事をずっとやり続けた人も、それだけで賃金が上がればいいということ。積極的に何かをすることも、それは大事でしょうが、こちらも大事なこと。継続することに価値がないからこそ、社会に不安定さが蔓延するのではないか。仕事をやめてしまった私が言うのも何ですがww
 企業は長期的な物事の見方が好きです。収支がプラスになればいい。個人はどうでしょうか。今回の日雇い派遣禁止では大きく物事は動かないでしょう。多少、企業がやりにくくなって、効率の良さを求める動きが軽減されるかもしれませんが。そもそも効率のよさを求めるのはいいですが、それにより社会自体が低迷するという問題が起こってしまい、本末転倒にあるのですがwwというか、実質的に効率が一番いいとされる状態とは、お金が一番よく動く状態のことですよ。
 私も含め、そろそろ実感してきたんじゃないでしょうか。企業が儲かっても、経済はもはや建て直しはきかないということにww燃料高騰、少子化、この問題がある限り、国民がすべてを左右しているといっても過言ではないでしょう。そこに、追い討ちをかけるように、個人が長期的なビジョンでもって、愚かな選択をしなくなれば・・・・潰れる企業もたくさんでるでしょう。業績悪化の企業もでるでしょう。でも、景気は良くなるんじゃないかと思いますよwwまぁ、絶対にこうはなりませんけどね。ならないから言うんですww
 なぜ、ならないか。これも、環境問題の話と同じで、なくなること前提で動けないからですよ。子どもの数を増やしたい、そのための補助を出したい。それが本音でしょう。でも、このままだと恐らく増えないでしょう。だったら、増えないこと前提で、小規模な社会がうまく回るようにお金を使わないといけないはず。大きな頭を抱えるために、足元を太くしようとする。これは本当に実現可能で正しいのか?という視点がもはや必要な世の中なのではないでしょうか。痛みをともなう改革とか言って、色々とやってくれた人がいますが、実は大事なところには手をつけてないとかwwその流れでいいのかどうかってことですよ。痛みは痛みとして必要だとしても、前提となる方針が違えば、痛みも違ったでしょう。それは本当に必要な痛みだったんでしょうか?痛めつけるところ、合ってたんでしょうかねww改革って何でしょう。
 追記:悪意はないということだけはわかってください。こういった思考が求められているのではないかという話です。