「アニメの敗因・ネギま!の面白さ」

 魔法先生ネギま!が実写化されるそうです。詳しくは下のタイトルで。で、それに関連して、今更ですが、アニメがおもしろくなかった原因を、一度だけやっておこうかなと。(本当に今更だなww)アニメと実写はまったく関係がないので、ただの口実です。さらに、それに関連して、自分がネギま!のどの辺が好きなのかを暗に仄めかしておこうかなww

 結論から書いた方がわかりやすいし、長文が嫌な人も読む必要がないと思っているので、毎度ながら結論から書きます。


  1. アニメという区切られた枠の、映像という放送手段では多くの情報を捌けないし、多くを蓄積させることもできない

  2. エロさが足りない(主にネギを絡ませた)

  3. 全ての生徒を扱おうとした

 以上の3つが私が考えるアニメがおもしろくなかった原因です。
 まず、1つ目。情報量が多くアニメに向いていないということは方々で言われていることだと思います。当然、私もそう思います。その上で考えると、わかることが2つあります。1つは、アニメという放送期間が決定している枠であること。もう一つは、それに関連して情報を蓄積できないこと。
 どういうことか解説すると、漫画である本編は毎週連載され未だに先が見えてこない。しかし、アニメとしての放送となると、期間が限られてしまう。それゆえ、先につながる情報をあまり出せないし、積み重ねたものも少なく蓄積できないのです。
 まとめると、映像という媒体では漫画のように情報を捌ききれず、また期間の制約があると情報をうまく管理できないとなります。
 2つ目。これ重要ww「ネギま!?」のOVAの方ではエロいとの噂であまりそういったものを購入しない私も購入したわけですが、このエロさはただのエロです。言わば、ヌーディストビーチのエロさですよ。エロは恥じらいを持ってこそのエロなわけですから、もっと、こう、原作のようにネギを絡ませていってほしいわけです、はい。

 3つ目。これが一番の原因かなと思う。要するに、ネギまというものに対する勘違いなんです。
 生徒全員を使ってはいけないとは、どういうことか。そもそも原作のネギま!ですら生徒全員を扱いきれておらず、影に回っている生徒が大半なのに、無理矢理全員を扱おうとすればどうなるのかは目に見えている。
 ネギま!を映像化する際の大前提として、情報量を減らすということがあったと思われる。その中で、生徒を捨てなかったこと、これが間違い。「ネギま!=クラスメイト31人が活躍」という認識がある以上、よほどの好条件でない限り映像化は成功しない。ネギまは31人が活躍することがおもしろいわけじゃないです。31人という生徒の多さを下地に、膨大な情報量を蓄積しているからおもしろいのであって、全員が活躍しなくても別にいいんです。まぁ、この辺は戯言シリーズのおもしろさと共通していますね。下地は下地として割り切って、そこから広がり続ける世界を表現していかないと厳しいわけですが、先にあげた理由で先が見えてしまっていることにより、どうしようもない現実に追い込まれる。
 アニメ1期では、収まりがつかず、わけのわからない展開へと突入してしまった。生徒を意識しすぎて情報を処理しきれないことが明らかな敗因だった。最後には全員仮契約だなんて・・・・
 アニメ2期では、前回の敗因を考えて当然作られただろう。そこで出てきたのが独自の展開。勝手に話を作れば話は広がらずに収められるはずという憶測があっただろうし、ネタとしての要素を含ませてバランスを取ろうとした。結果はキャラの個性が原作とはかけ離れたまるで別のアニメとなってしまった。
 本当ならば、アニメの2期を作る際に反省しなければならかったのは、ネギま!は他のアニメとそう違ってはいないと認識することだった。メインヒロインを決めて、サブヒロイン、サブキャラを決める。これだけのことだった。
 これがなぜ行われにくいのかは、先に言ったようにネギま!をその謳い文句通り、「クラスメイト全員が活躍」と受け取ったためです。まぁ、次があるならば、その辺を解消してはどうでしょうか。
 例えば、放送終了次期が未定のアニメ、ワンピやコナン(かつてのテニプリなど)のようにすぐ後を追いかけるアニメでありながら、ドタバタコメディ要素を追加して、声優なんて使い捨てだぜってな具合で生徒に優先順位をつけ、大半の生徒を原作通りの扱いにしてしまう場合、これがおもしろいかと言えば・・・・・・う〜ん。まぁ、みなさんのご想像にお任せします。
 ただ、それぞれの生徒に声優というイメージが固定されたことは、アニメの内容とは別に大きな効果があっただろうとは思う。グッズ関係ではそれなりに利益が生まれただろうし、私達もある程度の許容をしている。その点では、生徒全員が活躍というのは成功だったのかなぁとは思う。