本日のこの日記をもって、100回目となります(名前の由来)


 日記を書き始めて100日目というか、100回目です。2月の中旬からですから4ヶ月弱ですか。ゴールデンウィークまでは毎日更新するという無茶をやっていましたが、今はもうそんなことをしていません。始めた当初はやっぱり誰でも張り切るものなんですww長かったような・・・まぁそれほど大した事は書けてません。

 何かをやろうという気はありませんが、いつもとは違うことをやらなければという気はあるわけでして。そこで、今更ですが名前について、だらだらと。

 この日記を見た方の大半が気づいている・・・と思うのですが、私の名前「mitisihiniiki」というやつです。タイトルだと「満ちし日に生き」となっていますが。見ての通り、イの音だけで構成されています。「いきしちにひみ」を並べ替えたわけです。
 名前を考える時に、ちょっとひねった名前がいいなぁと思って考えました。それほど大したものでもないので、誰かが過去に同じようなことをやっているでしょう。でも、まぁ適当なものも思いつかないし、こういうのもおもしろいかなぁと思ったわけです。

 名前というのは意外とつけるのが難しいもので、皆さんもブログの名前やネットの掲示板での名前、あるいはメールアドレス等で悩まれたことがあるのではないかと思う。何か決め手があればいいんだろうけど、普通に生きていればそれほど自分を表した何かというのはまずない。

 今のゲームでは声優の関係やらで割と主人公に最初から名前がついているゲームが増えてきていると思う。しかし、かつては主人公の名前をほとんどのゲームにおいて一から考えることを要求された。もちろん、自分の名前を入れてもいいのだろうけど、それを誰かに知られるというのは恥ずかしいもので、私の場合、「りゅう」とか子どもにとってはかっこいいような名前をよく付けていた記憶があるww
 
 作家や漫画家はどうやって登場人物の名前を考えているのだろう。日本語だとまずは、名前の単語自体に意味があったり、文字を漢字にした時に意味があったり、あるいは何かの思い入れがあったり。そんなところだろうか。
 余談だが、また西尾維新先生の話になるが、その作品の登場人物の名前はほとんどが常軌を逸しているとしか思えないものだ。戯言シリーズの中で私が一番好きな名前は「七々見奈波」(ななななみ・ななみ)だ。こういうのを見ると面白いなぁと思う。
 大抵の場合、何かの思い入れから生まれた名前であることが多いと思う。適当に決めてしまうならば、愛着の持てる方がずっといいだろうし、実際には名前や漢字の持つイメージが与える影響というのは少なくないだろうけど・・・・・ん〜、今回はあまり深く考えないようにしようww

 話は変わって、ある漫画だと名前が非常に大きな力を持つといった設定を見かける。名前は自分を表し、強制力を持たせるとか。昔から「名は体を表す」と言うので、その辺りから考え付いたのかなと思うが。また、漢字を使用する文化圏では、漢字一つ一つの意味があることにより、より特徴的な使い方をしているのではないかと思う。また日本的なものだと、一字一字をはっきりと発音するがゆえに、与える印象というのもあると思う。例えば、「る」という文字は丸いイメージが自然とある。そして、「るる」と並べると、かわいらしいようなイメージになる。
 どこでそれほど名前が重視されるような出来事が歴史の中に紛れ込んできたのか想像もつかないが、庶民の間に広まったのは、そう昔ではないだろう。

 確か十数年前の話で、悪魔ちゃんという名前を親が付けようとして、問題になったことがあった。まぁ、馬鹿な親だなと思う。名前1つで、いじめに合うか合わないかという人生の分かれ道があったりするのが現代だ。しかし、親は好きな名前を付けたいと思うものだろう。名前に使える漢字というのも実は限られていて、あまり良くないイメージの漢字は使えなかったり、あるいはコンピュータの関係やら良くわからない関係で使えない漢字はある。
 
 名前を決める際によく用いられるのが画数で占うという例のあれだ。皆さんがどこまで信用しているのか疑問だが、現実的にいざ子どもの名前を付けようとした時に、縁起のいい字画の名前にしようとは考えないまでも縁起の悪い字画にはならないようにしたいとは考えるかもしれない。

 取り留めのない話になってきたな・・・・・・落ちがないぞ・・・・・

 名前を決めるのに、育って欲しい子どもの未来像を考え、漢字の意味を考え、字画を考え、言葉の響きを考え、加えて想定されるあだ名まで考える。ここまでこだわり抜くのはさすがに日本人だけではないかと思う。それでも飽き足らず、作家たちは気の利いた名前を考えようとする。
 まぁ、何が言いたいかというと、本当に日本人は名前が好きだなとww

 余談だが、言語学か認知学的な話で、物をやはり認識する、確定付けるのは名前だと聞いたことがある。名前があるからこそ、それを個別のものだと認識できる。簡単にいうと、花が一本あるとする。それらは単純に見ればただ花であるが、花びらがあり、茎があり、おしべやめしべ、がくやら胚珠やらと名前が本当はついている。それらを知っていれば、あるいは差別化しようとすれば、認識できる区別できる(区別のためには名前が必要ということ)ということになる。
 名付けることが命を注ぐことになるというのは、正にそのことだろう。

 と、まぁ想像通りの駄目な感じになった、ぬるい100回記念でしたwwどこかで利いたような話を書いただけで、終わってしまった・・・・・いいのかこれで・・・・・いや駄目だな。といことで、最後に一番好きなネギまキャラの名前をあげよう。

桜咲刹那

 まぁ、見たまんまですねwwでも綺麗で好きです。一応解説すると、春に咲く桜は満開になるとあっという間に散り、その散り際に舞う桜の花びらが見せる景色が特に美しいとされてきました。その辺の桜の散り際の刹那の光景が美しいとか、恐らくそういう意味合いですよね。
 刹那が華麗に散ることはまぁないでしょうけど、美しいというイメージはちゃんと受け継がれていると思う。神鳴流の型というか動きであったり。

 後は、「四葉五月」なんかも綺麗ですよね。「近衛木乃香」もごろがいいし、意味と立場も割りと合ってるかなと。近衛はまぁ検索されるのが良いかと思いますが、昔からある有名な姓です。加えて、近衛兵などの使い方もする。木乃香は、「この」が韻を踏んで、香は香りで「木の香り」という意味でしょうか。要するに物語の清涼的な役割が与えられているということですね。

 本当に最後に、これはちょっとという名前を挙げて終わりにしよう。

 「宮崎のどか
 これはたぶん、宮崎県はのどかだって意味じゃ・・・・ないですよねww

 「葉加瀬聡美
 何て安易なんだww博士に聡いですよね。

 某ロボは触れない方向でww

以下は実は昨日の分でしたが、ちょっと用事で出かけてしまったので、今日になった。なので、一応解釈的にはここまでが今日ということで。まぁ、どっちでもいいんですけどね。ただ、100回だからって張り切っているように思われたくないんですww