「魔法をばらしてはいけない基準とは?」


 これも私をもやもやさせている原因です。過去に何度か触れましたが、この魔法を一般人にばらしてはいけないという基準がわからないのです。一体どういう基準なのか。
 ネギの動きを見る限り、別段監視を受けているわけでもありません。姿勢の問題というレベルなのかとさえ思ってしまう。つまり、積極的に魔法をばらさなければよくて、偶然でばれてしまうのは仕方がない。そんな風に思えてくる。
 ネギの態度も曖昧で、教師としての立場もあるだろうから、無理矢理記憶を改変することはしたくないと思っている。魔法バレをしても、中に引き込むというのが流れだ。
 ネギ以外の魔法使いがどういう対処を行っているのかわからないが、ネギよりは厳しく対処しているだろう。しかし、この世界には魔法から意識を削ぐという強制認識魔法がかかっていて、個人レベルではどうしようもないというのが現状なので、さほど気にしていないのかもしれない。
 ネギではないメンバーからの魔法バレ。ハルナや千雨がこれに辺り、責任の所在が曖昧となっている。ハルナは図書館メンバーによって魔法バレが行われたわけで、これはネギの責任となるのだろうか?魔法バレした生徒は、この一般人に魔法をばらしてはいけないという基準に当てはまるのだろうか。この基準とはおそらく魔法使いに対する基準である。エヴァが気にしていないのは当然のこと、茶々丸も気にしていないでしょう。今は違っているかもしれませんが。
 根本的な問題として、親が子どもに魔法を教えることに問題があるのかということがある。つまり、ゆ〜なの父親である明石教授が娘に魔法の存在を教えることは魔法バレに繫がるのかということだ。常識的に考えて、繋がらない。根拠は、身内だからでしょう。しかし、その根底にあるのは、そこから広がりを見せない許容範囲であるという背景だ。
 これは、学園長らがアスナたちの存在を認めているということとも同じ背景だろう。大雑把に、悪意を持った行動ではないことが広がりを見せないと、言えるのかもしれない。これを前提として、先の魔法バレに束縛される対象はどこまでなのかを考えると、魔法使いに限定されるものではなくて、もっと単純に特定の条件下(先にあげた親族など)でなければ、大抵の場合、魔法をばらすことが悪意を持った行動という意味に取られることになり、誰であっても魔法をばらしてしまうことは、してはいけないことになるのである。
 つまり、エヴァであっても誰かに魔法を積極的にばらしていると、制裁を加える集団がどこからかやってくるということになるのである。そういう意味で、当然図書館組がやってしまったことは、大問題なわけである。またネギが魔法を偶然でばらし続けていることも、悪意がないとはいえ、過失と考えられ、処罰の対象には基本的に上がることになるだろうが、ネギに何の処罰もないのは、寛容な大人たちのおかげと言える。
 さて、これらの魔法バレを管理しているのは、一体誰なのかが疑問になってくるが、その答えは簡単だ。魔法使いや魔法を知っている人間全てが管理者だろう。つまり、お互いがお互いを監視している状態で、それぞれのいわば職業意識に任せているのである。当然大本で管理している組織はあり、さらに細分化もされているだろう。関東魔法協会やら。こう考えると、ネギのモラルは低いのかなと思う。それを言うならば、協会の長でもある学園長も似たようなものかww
 こうやって落ち着いて、話がじっくり読むようになった今、ネギが周囲を受け入れたことが、越えられない壁を薄くした。魔法バレさえ起これば、壁は簡単に破れるという下地である。しかし、壁が薄くなって魔法バレしやすくなったのかと言えば、実際は壁は高くなっている。ネギが特定の生徒だけを肯定したことにより、差が生まれたからだ。
 わかりやすく言い換えると、壁というのは、2つの意味がある。1つは魔法バレという壁。そしてもう一つがネギと生徒との壁だ。ネギが周囲を肯定したことで、特定の生徒に対しては、1つ目は魔法バレしているので存在せず、2つ目の壁は薄くなった。しかし、その他の生徒に対しては、一つ目の壁はネギが知らず知らずの内に高くしてしまい、容易には攻めさせなくしていて、もう一つの壁は以前と一向に変わらないという状態なのである。
 この何とも言えないアンバランスさが、もやもやさせているのだろう。
 
 一般人への魔法バレの規制。この基準が曖昧であるがゆえに、ネギの態度が曖昧に見えてしまう。もっと毅然として、魔法バレを拒絶すればすっきりとするのだろうが・・・・それでは魔法バレするのかしないのかという楽しみが無くなってしまう。う〜む、ネギま!はいつもこんな綱渡りをやってきているのかww
 

 これだけ書いて、漸くもやもやが晴れたような気がする。御付き合いくださった方、ここはむしろ謝っておきます、ごめんなさいww