第11話「誓い〜朝陽の祝福」

 今回の暴走振りにちょっと唖然・・・・これ、やっちゃいけない展開じゃないですかwwだって、原作ではこの夢を目指して、結局実現できずに悲劇で終わったわけですよね?それをあっさりと実現させてしまった・・・・・ありえない。まぁ、この先、連れ戻されるなりするんでしょうが、例え束の間の夢としての表現であったとしても、これは駄目でしょう。

 原作とは比較しないと言ったが、これだけは見逃せぬ!

 展開的に見れば、最初に出会いと波乱があって、穏やかな日々の話があり、そこからまた山を登り始めるというのは、理に適った展開だとは思われる。でも、この話はそれでは駄目、根本的なところで駄目なんです。
 悲劇をより強く印象付けるためには、一度夢が叶っていればいいというのがあります。例えば、ラストの回で死んでしまうとき、夢の回想が行われ一瞬だけど過ごしたあの日々が幸せだった・・・みたいな。でも、この方法には注意するべき点がある。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、過ごした日々への渇望と叶ったことのない夢に対する渇望の違い。これは意味合いがまったく違います。
 まず前者、哀しみは確かに強く感じるでしょう。でも、それって現代人っポイ考え方ですよね?満たされている日々が今そこにあるのに、それを感じられない。過去にしか満たされた日々を見出せない人って結構いると思うんです。そういう人に向けたメッセージとしてこういう展開が作り出され始めたと思うんです。幸せは身近にあるとか。ちょっと話がずれてしまいましたが、要するに、欲望ではなくて、「渇き」が足りないんですよ。作品のストーリーが満たされすぎている。
 後者。これは満たされていない時代の考え方。最後まで夢を渇望するという姿勢。決して、幸せには届かないという考え方。とかいうと、いや、その夢を追っている時間こそが幸せな時間ですよ、という人がいるだろうけど、それは現代人っぽい考え方かなと。古い時代に夢を追うということは、命を掛けるということに他ならないでしょうから、夢は叶ってこその夢でしかないでしょうね。
 この実直に夢を追い求めた姿勢が単調であるかもしれないが、渇きを生み出しているのは間違いないわけで、その辺の微妙な具合がうまく調整されていたのが,原作だと思うんですよ。研究家ではないので、これ以上は何とも言えませんけどねww原作はこのアニメが始まってから読んだ次第ですが。
 つまり、この原作の持っていた渇きを消してしまった。悲劇としての意味合いがまったく変わってしまった。やってほしくない展開でした。どこに向かうんだ・・・・・・もう感想やめようかな。不満を書きたくはない。

 ・ 内容に関していくつか。やっぱり別の街はありました。しかし、かなり疲弊している様子。ちょっと森林が多すぎですかね。あまり開墾されていないのかも。漁業や狩猟がメインなのか?

 ・ 古びた教会に笑った。何となく某宮殿のあれに似ている。ここで、教会ですか。ちょっと離れすぎてない?ん〜、まったく先が読めない。シエロを解放する意味もわからない。また狙われるだけだろww

こんなところで。