第9話「富士に月見草は間違っている」

 「自分で自分のことを証明しろ」

 実際難しいですよね。自分という存在は他者の中にしか存在しないわけですよ。まぁ、他人に対して、自分を証明するだけでいいならば、その相手の中にいる自分というものを証明すればいいだけの話ですが。本当にそういった病になっている人には非常に難しいことですが、例えば、私が知らない人と対面して、あなたを証明しろと言われれば、社会的な身分があり実際に生活しているわけですから、会社等に頼るなり、知人、家族に頼るなりすれば、確実に証明できます。
 しかし、そうではなくて、完全に自己の中だけで自己を証明するということをしてみろとなると、非常に難しいと。絶望先生は、自分を証明できずに大変なことになってしまいましたww色々な人がこの問題で悩んで、答えが出たのかどうか。勉強不足でよくわかりません。そもそも、この命題には矛盾があるような気がしないでもないですけどね。
 
 ・ 間違いは発覚すると正解

 また無茶苦茶なww要するに、過去と現在が混ざっているんですよね。現在の行為が過去に影響を及ぼさないのが前提にないとおかしくなる。間違いを認めるという現在の正しい行為があったとしても、それによって過去の行為には影響しないと。
 これも色々と解釈がありますが、過去の罪は贖罪によっても、当然罰によっても消えないと言っている人たちに賛同です。基本的に許しを得られることはなく、犯した罪を私たちは自分のものとして、罪を背負って生きていかなければならないのです。とはいえ、縛られて生きなければならないとなれば、それは負の連鎖に他ならないわけですから、どこかで折り合いをつけなければならないでしょうけど・・・・・難しい。

  今回はちょっと真面目な話でした。