第8話「黄昏に消える風」


 やはり終われませんでしたか。そして、渚も寝込まないと。まぁ、当然ですかね。来週、風子編を終えて、今後の話につながる序章のようなものを入れるぐらいでしょうか。本気で終わりそうにないな。というか、そんなに簡単に終わらせたらもったいないですよねww確実に売れるんですからww
 売れるとわかっている物を簡単に終わらせてしまうほど、京アニは馬鹿ではないと思うのだが、どうでしょう。つまり、2クールで終わらせてしまえば、もう作り直すということはできないでしょう。kanonの例がありますが。なので、細かく作って、長くすればするほど、たくさん売れるんですねww
ただし、一つの懸念があります。それは、長すぎると新鮮味が失われるということです。それだけではなくて、中だるみがするのはもう仕方がないことでしょう。それを回避する策が2期という方法です。最近、2期が決まった作品の名前を聞きます。もしかすると、最初から2期をほぼ決めていたのではないでしょうか。よほどこけない限り。そう考えると、ガンダム00にしてもそうですし、コードギアスにしてもそういう意味合いがまったくないとは言い切れません。
 これが今の流れなのかもしれません。とは言っても、こうやって、何期も続いてきたアニメを私たちはたくさん知っているはずです。ただ、これには二つの流れがあって、一つは、これまで通りの1期ごとに完結するというもので、それと違うのは、1期で中盤の区切りまでをやり、あくまで完結させないということ。つまり、2期を新しく始めるのではなくて、新しく続きから始める。クラナドは、一度区切りをつけて、また新しく続きをしようと考えているのかもしれません。


 内容は、展開の盛り上がりとは対称的に、あまりに長い坂道なので少しだけずるずるとすべりだしてきたww
 私は原作を知っている人間なので、ゲームとの対比で内容がどうであれ保管することができるし、よほど間違った展開でない限りおかしいとははっきりと感じません。しかし、こう言っては批判に聞こえるかもしれませんが、風子編から入ったのはまずかったと思います。
 なぜなら、風子編は現実には起こらない現象を取り扱っているからです。つまり、知らない人があるいは、知っていても冷静に見たときに、風子編の奇跡がその代償を物語全体に求めないか、つまり世界観を崩しはしないかという懸念がでてくる。確かに、最終的には、起こりえないことが起こります。けれど、それは積み重ねるべき物を積み重ねた結果であり、安易に起こらないはずの現象が起こっていいわけではないのです。風子編で起こったのだからと、ある場面やラスト直前で思われてしまうのはまずいということです。
 クラナドという物語はkanonと一緒に考えてはいけないと思います。どちらが優れているかという問題以前に、目的が違えば、内容も違うということでしょう。あくまで現実を描くことを前提に話を見れるようにしないと、おいていかれるんじゃないかと思います。
 というか、今回そう思いました。まったく感動できませんでした。あんなに真剣に、本物の風子に会ったら忘れるとか言ってるのを見て、「えっ?何、このこじつけ。」とか思っちゃいましたとさww