昨日の事件

 昨日、秋葉原で凄惨な事件が起こりました。これについて思うことを二つ書きたいと思います。

まず、一つ。世の中に対するいらだち。

 私にどこまで理解できているかわかりませんが、同じように思っている人が多くいることは確かだと思う。今回は、こういった形で現れたということで、自殺をする人もいれば、何かを抱えたまま生き抜く人もいる。
 世の中で問題として上がるのは、周囲に対して問題がある人、自殺をしようとする人、引きこもりやニートなども含めた不満やストレスを何かの行動(行動しないという選択をする人も含む)として表す人の場合が多い。でも、本当にどうかしなければならないのは、ストレスや不満を表さない人や気づいていない人なんじゃないのかなと思います。
 今回のようなケースがもっと今の世の中では起こりえてもおかしくないと私は恐怖している。なぜなら、同じように考えている人がいるし、また同様の思考の主人公の書籍も多数存在する。でも、外を歩くのが怖くなるほど、現実的に起こっているわけじゃない。思いとどまれる人が大多数だと私は思う。感情的な人は感情に流されやすいけれど、同時に感情を抑制する方法を無感情な人に比べて心得ているんじゃないかと思う。また行動しないという選択をした引きこもりの人はとても自己防衛に長けていると思う。
 何が言いたいのかというと、行動として現われない何かを抱えている人間、はっきり言えば、低賃金で働いている都会の若者をどうにかするべきなんじゃないかなと。端的に理由を言えば、ストレスを発散できないからです。お金がない、将来が不安、元からある不満に加えてこれでは・・・・こういった人は、すごく頑張れる人だと思う。引きこもっている人や自殺してしまう人に比べて。だからこそ、問題がいつのまにか自分でも気づかないうちに大きくなっていることが多いと思う。
 ニートや引きこもり、自殺者への対策は必要でしょう。けれど、それよりも問題としなければならないのは、不満やストレスを外にあらわすことができず、社会に身をさらしている人じゃないでしょうか。彼らが道をはずしたとき、選択する行動は本当に、自殺やただの引きこもり、なのでしょうか。今回のケースはそれに近いものじゃないのか。

 二つ目、犯人とオタクの関係。

 これは、単純に上記で述べた人物の多くがオタク文化に触れているという結果でしょう。オタクを排斥する社会ゆえに、オタクに関わる人は社会に適応できずに低賃金に陥るケースが多く、オタク活動がどこまでストレスを発散できるかと言えば、正直疑問ではある。忘れさせる程度でしかなく、身体的な解消とは程遠い。
 私はオタクを隠して生活している。はっきり言うと、恥ずかしいから。ラノベを本屋で買えないし、ネギま!も実は通販で買ってた口。こういう一線があると留まれると思っているけど、はまりだすとヤバイと思う。
 現実に割りとしっかりした収入があると問題ないはずです。やはり問題は、賃金の低さにつながると思う。確かにオタク文化に触れている人が事件を起こしました。けれど、オタクというくくり、その分類は正しくないと思う。