秋葉原無差別殺人事件・・・からなぜか若者の叫びへ

 昨日は新聞が休みだったので、今日の新聞に秋葉原の事件のことが一面として載っていました。専門家の指摘がしっかりしていたので安心したけれど、違うなと思ったこともある。
 基本的に私と同じような考えで、派遣というシステムや現代の社会の社交性の希薄さが問題と言ってました。だから、社会を変えていくべきと結論付けているところも納得できました。
 しかし、一人だけ、劇場型殺人だとか言ってる人がいました。簡単に言うと、ネットが出来た所為で、自分のやることを公表できることが、事件の凄惨さに拍車をかけているというもの。一見すると、その通りのようにも思えるけれど、根本が違う。因果関係の問題で、ネットがなければ事件が起こらなかったかというと、そうではない。ナイフが規制されて手に入らなかったら、事件が起こらなかったかと言うと、そうじゃない。そもそもの原因を解決せずに、犯人の思考通路を閉ざしたところで、別の道を通るだけだ。車を規制することなんてできないんだから。
 そうやって表面をなぞっているのがある意味で心理学の最大の欠点。世の中に不満を抱いている人、心理的に不安定な人の大多数はお金があれば解決する。本当は心が弱っているわけじゃない。人は強いものだから、お金があればそれで自分のやりたいことを相談なんてすることなく見つけられる。そういう現実を見ずに、彼の精神状態がどうとか、最近の若者は社交性がないとか言っても仕方がない。安定した収入と適度な時間それさえあれば、現代では多くの人が救われる、これだけは間違いないんだから。
 厳しい時代を生きた人は甘ったれだとか言うけれど、誰もがそこまで強く生きられるものじゃない。これまで、何だかんだで正社員として働けていたような分類の人たちが、現代では苦しんでいるんじゃないかと思う。厳しい時代を頑張って頑張りぬいた人は本当に多いのだろうか。今と同じ率しか存在しないんじゃないかと思う。
 今まともな指摘をしている専門家の方に対して、正直、私たちの年代に何を期待しているのかなと疑問だ。私は今の世の中がよくなって欲しいとは思う。けれど、お前らがそれを言うなよと、ちょっと待てと思う部分がある。適当にやってきた人間が大半なのに、私たちには窮屈を押し付ける。なんですか、それ。私たちだって、適当にやって、環境破壊したっていいじゃないですか。と発展途上国なら認められる権利が私たちにはない。
 おいおい、そんな期待されても困るぜ、確かにその指摘はもっともだけど。そもそも、そんなに期待するなら金をよこせと、期待しときながら密かに老後のための貯金をするなとww年金や老後が不安だというけど、私たちはもっと不安だ。現状ですら不安でならない。それぐらいわかってくれ自分たちのことばかり考えるなと。もっと市場を回転させてくれ、それぐらいはやったって罰は当たらないと思いますよ。