秋葉原の事件に共感する人たち

 最近、ネット予告が相次いでいますね。秋葉原の事件に影響を受けたのは間違いないでしょう。ネット予告以外にも、ナイフを持ち歩いている人が何人もいて、今日も秋葉原で事件がありました。
 嘘か本当かわかりませんが、加藤容疑者に共感して、一部の人は彼の行動を肯定しているらしいです。ないと言い切れないのが、今の世の中の怖いところということでしょうか。
 私は、彼を社会が生んだ歪んだシステムの被害者だとは思います。でも、彼のしたことが悪であることには変わりはないわけです。いじめを受けた、むしゃくしゃして弱いものに当たった。これは間違いです。子どもなら同情を受けるでしょう。しかし、27にもなってたら、背景として社会批判はあるにしても、彼の行動を擁護なんてされるわけがない。
 ん〜、でも、ですよ。ある意味では、加藤容疑者を含め、彼らの多くはマスコミに踊らされたという側面があると私は思います。もちろん、マスコミはそんな意識はまったくありません。
 事件があったとき、まず、絶対にしなければならないことは、2つあって、背景と個人の区別、原因と結果の解明と予防です。
 背景というのが社会システムの問題の話で、個人というのが彼自身の責任の話。原因と結果の解明は、先に区別した社会問題と個人の問題においてさらに詳しく分析し、予防が分析結果を受けてどうするかということになる。
 マスコミが悪いと私が思うのは、社会と個人の区別をしっかりしないことにある。マスコミが主張するべきは、社会システムの問題点と予防であるべきで、確かにこれも主張する。けれど、一方で、個人の内面も興味で暴いてしまう。すると、個人にも問題があったという主張に摩り替わってしまい、こちらがメインになってしまう。これを見た人たちは、加害者がマスコミによって歪められた被害者のように映ってしまう。マスコミに意図せず煽られてしまっている。
 勘違いしないようにしなければいけないのは、マスコミは悪ではない。ただ不真面目なのだ。私たちの味方でもなければ、敵でもない。共に、行政と戦うことがあっても、決して背中を任せてはいけない。いつ怠けているかわからないからだ。気が付くとそこには、もうだれもいないなんてことはよくあるし、後ろからちゃんと照準をつけてこちらを撃ってくるなんてこともある。とにかく、目を離すとすぐに、暴走迷走する。こちらが後ろで、マスコミが前。これが正しい姿なのだ。
 マスコミが後ろからやってきてみている場合、何か起こって後から大きく騒ぐ結果になる場合、それは間違いなく踊らされていると疑うべき。加藤容疑者は見られることを意識していたというから、踊らされているとも言える。劇場型犯罪は、マスコミとの付き合い方を間違えてしまった結果なのだ。
 けれどやっぱり、マスコミは悪ではない。馬鹿でもない。なぜなら、いい面があることは疑いようもない。ただ、不真面目すぎるのだ。真面目に不真面目を素でやってのけているのだ。そんな相手と真面目に付き合っても馬鹿を見るだけということをちゃんと理解しなければならない。
 そして、今回のことを真面目に捉えるなら、やるべきことはマスコミを前に立たせること、いかに利用するのかを考えることなのかもしれない。