裁判員制度(真面目じゃなくてすいません)

 昨日の続きの環境問題のことについて、書かないといけないなと思いつつ、放置します。また近いうちに書きます、たぶん。

 裁判員制度で思うことを書きます。裁判員制度を簡単に言うと、市民が裁判に参加するということ。どんな事件に参加するのか。殺人などの重大事件。参加するのは一審のみで、被告人には控訴、上告をする権利があり、そうなった場合は参加しない。日程はおよそ3日から5日。
 これくらいで何となくわかっていただけるでしょうか。私も勉強不足なので、詳しく全部解説するのは無理です。すいません。
 
 で、何が気に食わないのかというとww、裁判員が判断するのは有罪か無罪で有罪の場合は量刑も合わせて決めるという点。それの何が気に食わないの?普通じゃん。と思うかもしれません。でも、証拠とか供述とか鑑定とか全部終わったもの、それを与えられて考える。こちらからああして欲しいとか、あれしたらいいんじゃない?とか、そういう意見をいうことってできないんです。例えば、精神鑑定とか必要じゃない?と思っても、どうしようもなくて、精神鑑定が必要だから無罪とするか、精神鑑定が必要だけど有罪にするしかないらしい。裁判になると一転して、被告人が無罪を主張した場合、証拠品の評価等で非常に難しい判断が要求されることになる。そして、警察がどこまで信用できるのかという問題が上がってくる。
 今、取調べの可視化を進める法案が民主党から出たりしてますが、廃案になったそうです。それが一番いいかどうかは別にして、警察が嘘をつかないこと前提でないと、何も意見を言うことができない裁判員は非常にやりにくいということだけは確か。
 裁判というのは、有罪か無罪かといっても、有罪かそうでないかを決めるものだということ。推理小説やドラマのように、真犯人を見つけたり、新たな証拠を探したりする場ではなくて、疑わしいけど、与えられた証拠だけでは有罪に出来ないから、無罪って判断をしなければならない場だということ。わかってるつもりなんですが、納得できないwwやらされてる感が強すぎるんですよね。あいつ、怪しいからもうちょっとちゃんと調べてよって言えない。精神鑑定で、心神喪失で無罪って結果になりそうだけど、もうちょっとちゃんと調べたら心神喪失じゃないかもと思っても、無罪にするしかない。この歯がゆさ!
 で、やむなく無罪にして、控訴審でちゃんと調べ直したら有罪でしたとかになったら・・・・くそぉぉぉって思いませんかwwそんな適当でいいんですか。あのとき、あの場で悩んだ人たちの意味って・・・・・
 とまぁ、そんな風に思いますね。裁判員制度が裁判を速くすすめるという意味もあるといいますが、全然関係ないですよねww早くしようと思えば、裁判員制度なんて関係なしにできるんですよ。
 というか、何で重大事件に限定されてるんだろ。犯人が明確な事件じゃないとうまく機能するかどうか不安だとかそういうことか?でも、国民としては、そういう事件には関わりたくないってのが本音だから、いやだって言ってる人がいるわけで。
 オウムのサリン事件のようなものは、やっぱり裁判員は不適用なんだろうなと思う。社会性が強すぎる事件は国民は裁判までに偏見を持つだろうし。確か、松本サリン事件のとき、最初オウムが犯人だなんてわかってなくて、別の人が犯人だといわれて、かなりマスコミに叩かれてた。結局、冤罪だったわけで、まぁ逮捕されてないから、裁判での問題にはならないんだろうけど、もし逮捕されて、あの事件が裁判員制度が適用された裁判だったら、どうなっていたかな。無罪になっていただろうか・・・・・
 国民感情を取り入れると言っても、法律が変わるわけでじゃない。それとも、裁判員制度適用の裁判を積み重ねると、法律は変わるのだろうか・・・・私たちは、何を求められているのか。