環境問題の続き

 環境のことを書かないといけないと思っていたんですが、何を書いたらいいのかと思っているうちに忘れてました。すいません。
 う〜ん、何事についても、そうなんですが、根本的に目指す方向性というのを確認しておかないといけない。個人レベルだと、将来について、自分が暮らしやすい環境であることというのが前提にあるはずですし、経済関係では利益が上がる環境対策が前提にあります。
 何が言いたいかというと、今から100年後に地球が潰れるかもってなると、個人レベルでどうでもいいやと思う人は、結構いるということです。
 丁寧に説明していきます。国家レベルでは当然、環境対策をして、永久に地球が続いていくように方向性をおくはずです。(とりあえず仮定しておく)
 しかし、企業などの経済の世界だと儲からないことはしないというのが前提にある。じゃあ、今企業が環境運動や対策をしてるのはどういうことだという話ですが、基本的に企業イメージの問題でしょう。環境のことを考えてますよとアピールすることで、消費者や社会に対して良いイメージを持ってもらい、営業活動を有利にするためにやっていることです。また、個人が儲けすぎていると、周囲に敵を作りやすくなるので、募金をしたりする人が多くいます。イメージアップも兼ねた一石二鳥になります。
 経済関連では基本的にそういった戦略的なことを考えます。ただ、国家レベルでもこういう動きをするのが実は当たり前なんです。日本以外はみんなそうです。国家として、環境政策に金を落とすというのは無駄なお金だからです。確かに環境が悪くなれば、経済は低迷する恐れがあります。ただ、恐れでしかない。現実には目の前に何とかしなければならないことがすでにたくさんあります。
 数十年後の誰かを救うために、今の人たちを説得しなければならない。これは非常に難しいことです。しかも、自分たちの現在直面している問題は放っておいてです。今ガソリンの値段が上がっています。でも、将来のことを考えるなら、ガソリンはもっと高くして消費量を抑えるべきという考えを主張することです。
 戦後を支えてここまで日本を大きくした人たちには感謝をしなければなりません。大変な苦労があったと思います。しかし、開発をどんどんと進めればいい、そして上を見ているという点では、今よりも気持ちのもちようは楽だったのかもしれません。今の人たちに本当の意味で求められているものは、とにかくはみ出さないように、そして、下を見て自らの生活を落としていくことが求められているのですから。これは結論なので、今はさらっと流してください。
 個人レベルではどうでもいいやと思う人は結構いても別におかしくはないし、誰も非難できないでしょう。個人レベルでは、個人が個人のためにやるというのが落としどころでしょう。
 さて、こうしたそれぞれの思惑があって、環境対策は常に経済成長と共にあるべきだという考えが定着しています。上であげたように、今の生活レベルを下げろとはいえませんし、そうしてはならないとも国は考えてます。なぜなら、発展途上国は環境なんて気にせずに追い上げてくるし、甘い考えだと自国が潰れてしまう恐れがあるからです。本当はそうしないといけないんですが。
 そういうわけで、今の環境政策は経済成長と共にあるべきというのが前提ですが、それは当然甘い考えです。なくならせないという考えが元になっていると言ってもいいかと思います。科学技術を駆使して絶対に何とかするという考えです。でも、現実はなくなるんです。色んなものが。資源を製造できずに、消費している以上、いつかはなくなるのは当たり前の話です。
 ただ、代替物を探すという意味での技術は必要なものでしょう。削減とか減少といった意味の技術はもはや手遅れではないかと思います。この二つの違いは、なくならないという前提に立っているか、なくなるという前提に立っているかという違いでしょう。
 しかし、そう簡単に画期的な技術が発明されるわけではありません。そうできているなら、そうなっているはずです。今は一時しのぎをして、画期的な技術を待つというのが今の世界の本音なのかもしれません。
 けれど、やはり前提にあるのはなくなるということです。経済成長を考えるのは結構ですが、あるものをたくさんの人間で分けると一人が得られるものは少なくなるということを忘れてはいけません。これもまたあまり言いたくないことなんですが、安い賃金を求めて東南アジアに今工場が建ち始めています。もう一度考えてほしいです。中国はどうなったかと。薄く広い経済成長では駄目だということです。
 なくなることを前提に考えると今とはまったく異なる政策が、将来的には一番優れているとなるかもしれません。ちょっと漠然とした話でしたが、自分の書きたいことは多少は書けたかなと思うのでこれで、終わりにします。