「アニメと漫画の違い(ちづ編までを読んで)」


 取り残されておりました・・・・・・どうも、この「ぼくらの」は監督の意向により、原作とはかなりかけ離れたものになっているようです。私は原作を知らないので、あくまでアニメ版「ぼくらの」をきっちりと評価してきていた・・・のか?まぁ途中まで勘違いしてたし・・・・笑えない状態でしたが、何とか感想を書いていました。ひっそりとww
 そういうこともあって、ちょっとこのアニメとマンガの違いに興味を持ちました。それで、アニメと同じところまで読んで比べてみたいと思います。原作をちゃんと入手してきました。アニメから入って自称公平である私がこれらを判断したいと思います。

 具体的にどの辺りを見ていくことになるのか。私は理屈っぽいですから、やっぱりルール関連は外せませんね。後は、子ども達の心理描写や全体的な空気感。この3つがメインでしょうか。後は、適宜加えていくということで。

 マンガを読む前に

 ・ アニメの印象など

 マンガを読む前に書きました。修正は加えていません。なので、的外れなことを言っているかもしれませんが、ここではそういうものだと受け取ってください。
 そもそも「ぼくらの」というものを私は名前だけしか知らなくて、最初はロボットに乗ると死ぬという設定すら知りませんでした。その後は、あまりの内容の薄さにロボットアニメじゃないかとずっと思っていました。なんて中途半端な作りをするんだと。
 その認識が変わったのが、ちづの話。あまりに突拍子もない話だったので、さすがにこれは違うと思いなおした。
 序盤から子ども達の描写に関して注意を払ってはいました。しかし、たった20分程度で何を語れるのでしょう。正直、片腹痛いとか思ってましたwwなので、この中途半端さと妙にリアルにこだわる姿勢がこの話の肝なのかとすら思っていました。
 認識を改めてからの2回は、割と落ち着いていましたが、逆に冷めた話でもありました。そうです。なぜ戦うのか、それをないがしろに話が進みすぎていて、こんなにあっさりと話が進み、子供たちが死んでも何がしたいのかわからないのです。
 私が思う致命的な欠陥、それはこの何故戦うのかを未だに謎として残しすぎていること。もう少し、先を匂わせておかないと、全体的な空気というものがわからず、到底私にはついていけない。
 以上がマンガを読む前の、アニメに対する私の感想です。

 マンガを読んで

 ・ 異なる点

 え〜、ちづ編まで読みました。はっきりとわかる異なった点を幾つか挙げましょう。
 まず、子ども達の順番が異なっていた。これはちょっと驚いた。カコとちづがダイチとナカライの前にきているのです。ん〜、できるだけカコとちづの話を早くもってきたかったというのが、一番適当な理由か。この2人の話は、物語の中では、大筋に深く関わっている話です。ジアースの光の数や軍が登場するなど。それゆえに、物語を安定させる意味で、早期に持ってきたのは私の思考からすれば、評価できます。だらだらとダイチとナカライ編をやられていたら、発狂していたかもww
 しかし、これはあくまでアニメ編の評価です。マンガの方は、そんな風に中弛みを感じませんでしたから、ダイチ、ナカライ、カコ、ちづの順でよかったと思います。その辺の違いの話は長くなるので、後にします。
 描写の違い。これも引っかかると言えば、引っかかります。もっと根本的な問題として、アニメの方は言葉が少なく底が浅い。所謂心の声が少なすぎるんです。私からすれば、マンガの方も少ないと思うわけでして、これを指摘するならアニメが悪いというより、原作が悪いと言えるでしょうね。基本的にアニメはマンガよりも扱える情報量が少なくなってしまいますから、さらに浅い展開は仕方がないでしょう。この辺も後で詳しくやります。
 後は、ルールですか。ルールに関しては、違いはなかったようですね。ぱらぱらと先を見ていたら、軍関係の大人が2人追加で契約していました。微妙に違う展開かなと感じたのは、独り契約していない人間がいるという話。これも見落としていた。確か、そんなことを言っていたよなと。なぜこれほど扱いが違うのかと考えれば、先にあげた、子どもたちの順番の影響でしょう。ダイチとナカライの話が後にきてしまったので、印象が薄れてしまったと私は思う。
 大まかにはこんな所でしょうか。以下、詳しく見て行きます。

 ・ それぞれの描写
 子ども達の描写の違いの前に、それ以外について先にまとめてやっておくことにします。コエムシに対する評価、マンガの方が描写が多いですね。最初のコエムシとココペリの会話はアニメにはなかったような。コエムシの描写は直接物語の根幹につながりますから、アニメの方に複線としてのコエムシの描写が少ないのは致命的かなと。何故戦うのか疑問だという私の思考ですが、マンガの方だと、こうやって複線をちらつかせることによって、多少の緩和を得る事はできているがアニメの方は・・・・いずれにしても不十分ですが。
 
 では、問題の描写について。序盤の2人にそう違いはないですね。新聞配達のダイチという少年もいいでしょう。問題は、カコとちづ、ナカライです。カコとちづは長くなりそうなので、まずは、ナカライです。

 ナカライ。アニメの方のナカライ編は実にあっさりとしていました。私は、ナカライがタイプだと先日言ったわけですが、マンガの方のナカライの方が好きですwwん〜、なんでこんな省略されてしまったんでしょう。
 まぁ、1つは時間の問題ですよね。どうあっても、20分ではナカライの微妙な心の動きをアニメでは表現しきれない。ばっさりと切られてしまっていたのは、土手での親同士の争いのシーンと同級生のセックスのシーン。
 特に前者。母親の信念が強く伝わるいいシーンだと思うのだが。後者に関して、これはちょっとあざとすぎるかなとwwマンガの方が。ナカライ親子をいいように持ち上げて、別の親子を親は浮気されて、子どもの方はセックス三昧なんて設定は、ひどすぎるなwwもうちょっとリアルっぽい設定でいいんじゃないですかと。なので、アニメ化に当たって、その他の問題もあり、このシーンがバランス上切られてしまったのはまぁ仕方ないでしょう。ナカライの「殴り」は好きなんですけどね。仕方がありません。
 そう考えると、前者も仕方がないと言えますよね。ナカライの描写を増やせば、母親の描写は減っていき、バランスを取ろうにも、そうしてしまうと母親の描写の中途半端な印象は否めない。ならいっそ、ナカライだけをメインに仕立てる方がずっと見やすく落ち着いた印象を与えるでしょうね。まぁ、それがいいかどうかは個人の問題ですが、きっちりとはしていると言えるでしょう。
 搭乗順の問題ですが、やはり初期に彼女の物語が来たほうがすっきりしますね。大人が介入せずに、まだ手探りでやっているという雰囲気も良かった。これはダイチにも言えることです。でもアニメの方がぬるい展開になるとわかっていたでしょうから、この順序の変更は仕方がないとは先ほど言いました。
 ただ、衣装がなぜ全員分できなかったのかは謎ww何かの複線?というか、原作ですら完成しているのに、順番が変わったわけですからナカライには十分な時間があったはずだが。ああ、序盤に伏線を張っていなかったのか・・・・しかし、アニメの方は全然伏線を張ってないな。そこは本当に致命的なミス。
 
 カコとちづ。圧倒的に異なるのは、この2人でしょうね。まず、マンガだとちづがカコを指して殺すんですが、アニメだとカコは事故で死ぬ。ここが全然違うわけです。なぜこんなに違うんでしょうね。監督さんが色々と釈明をしているようですが、そんなことはどうでもいいww問題なのは、受け取る側がどう感じたかに尽きる。原作が嫌いだとか言っているようですが、ちょっと私には理解できないですね。
 さて、ちづの境遇の違いがそもそもの違いを起こしているというのは言えるでしょうね。マンガの方が圧倒的にひどい状況です。騙された上に、集団レイプですか。この辺の嫌悪が人によって評価が分かれるのかもしれないですね。その設定ゆえに、6人の人間を殺すという行動を取ってしまう。
 マンガもアニメもどちらもしっかりと作りこまれていると思う。マンガの方の先生はちゃんと極悪な感じがでているし、アニメの方は小市民的な小悪党、卑怯な感じがよくでている。この部分だけを切り取るなら、評価は好みの問題で、私の正直な感想を言えば、アニメの方がちづの物語としては綺麗ですよね。大人に憧れて、そしてその大人としての象徴の先生を好きになって、でも実は先生は口先だけで卑怯で矮小なくだらない大人だった。ちづが恨むのはあくまで個人であって、すべてが自分の中でうずまいていく・・・・・どこまで狙っていたのかは知りませんが、ちづがこんな大人に躓いてしまう辺りが、子どもが見える世界の狭さを見せているというか、子どもが無条件で守られる対象であるというか、そんな風に見えて色々と考えさせられるわけです。
 マンガの方は、単純な大人の暴力の話ですよね。全体的な流れを考えれば、ちづの話はこれからの展開に波紋を起こす話としてありそうで、あれはあれで重要だったと思います。ただ、ちづだけの話としてはアニメの方がうまかったでしょうね。
 で、カコです。まぁ、ビビって何もしなかっただけなんですが、ちづが殺したのか殺してないのかという違いはあります。マンガの方だと、ちづの覚悟の一旦として書かれている部分が大きくて、それは必要なことだったでしょう。問題はアニメの方です。どう考えても殺す必要なんてないんですよね。まぁ、マンガの方は死んでいるし、物語の展開上、仕方ないんですが、あまりにカコの死が無駄だ。ここは、全体的な空気を読んだマンガの方がしっかりとしてます。
 
 ここまでを、要約して、言える事は、アニメの方は一話一話をそれ単体として完成させようとしている印象がある。これに尽きるでしょうね。

 さて、もう一つだけやっておきたいことがあります。先に述べた「ぼくらの」という作品についてです。アニメの監督が原作に関して色々と思うことがあって、アニメが原作とは違う方向になりました。しかし、まぁ、そもそも私は「ぼくらの」はアニメには向いていなかったのだと思います。
仮にアニメ化をするならば、もっと人数を減らすべきですね。15人は多すぎますよ。独りにつき、2話程度の描写がなければ、いいものはどうやってもできませんて。原作とは違うと文句を言っても、そもそも無理があるわけで、原作どおりに作ったならば、原作を知らなかった私などにはまったく何も伝わらない薄いアニメになっていたのは想像に難くないでしょう。
 こういった大人数を扱う作品は全体としての流れが要求されると思うのです。毎回、視点が変わり、ポツポツと何かを語り始める。これは、1人1人の物語ではなくて、全15人分の人生を語る話、つまり、15分の1の話という意味合いが強い。
 なので、心理描写の濃い薄いという論点はずれているんです。そもそものおもしろさも違うというわけです。そういう点で、アニメの方は、ちょっと原作の方向性を無視したのは良くなかったかなと。内容の変更に関してどんな思いがあったとしても、全体としての位置づけを無視した内容に変更されるべきではなかったと。要するに、個々を意識し過ぎなのではないかと。これがアニメ版「ぼくらの」に言えることです。もっと全体に気を配った別な変更の仕方というのはあったと思いますよ。
 これから如何にして挽回できるか。まとめてあげてくるのか。最後だけ辻褄を合わせるということは、まぁないでしょうけど、とりあえず最後までみてみます。残りのマンガの方は、アニメを先に見てからというやり方で見ていくことにします。しかし、このまま残りが同じような展開とは思えないのだが。だとすると、一番最初に勘違いで挙げていた話がもしかすると、こんなところで、生きてくるかもしれない・・・・・しかし、何ていうか爆弾を抱えた作品だ。
 先の展開を知っている人は、私の予想とか解釈とかがおかしくみえるかもしれませんが、そこのところは勘弁してください。アニメと共に、すぐに進んでいきますので、そのときにおかしかったなら、どうぞ笑ってくださいww
 しかし、また長文をやってしまったな・・・・まぁいいか。載せようww